旧制武蔵高校創立者文献目録

4 本間則忠人物文献目録



最新更新:2版- 2010.01.17     鈴木勝司編
 



1.約80年前の大正11年(1922)我が国初の私立の七年制高等学校として、甲州出身 の卓越した事業家であった根津嘉一郎が社会へ奉仕するこころざしをもって、 教育事業をたちあげ、武蔵高等学校を創立した。

2.前年の大正10年9月に、学校設立計画のため財団法人根津育英会を立ち上げた。この 法人は、根津が理事長となり、賛同した友人の宮島清次郎、正田貞一郎が理事と なった。さらに教育事業を根津に推奨し、自ら学校開設の実務役をつとめた本間則忠 理事、初代校長となった一木喜徳郎理事、一木の実兄で、文部大臣を歴任した 岡田良平顧問(評議員)、臨時教育会議総裁であった平田東助顧問(評議員)、 当時の日本教育界を代表する、山川健次郎顧問(評議員)、北条時敬顧問 (評議員)、佐々木吉三郎評議員、そして開校時教頭として、後に第三代校長となり 実務的に武蔵高校の教育を方向づけた山本良吉校長。これら創立関係者の人物文献 を調査し収録した。

3.本目録は文献を調査したもので、著述や伝記・人物評等について図書、雑誌等に記述されて いる部分も抜出し、そのページを記した。また記念資料を所蔵する場合はそれを記した。 文献の量、質を問わず網羅的に収録した。主要な文献は青字で記した。また、人名 辞典については主なものに限定した。また目録は随時改訂、増補等を行っていて文献番号は   変わりますので、ご留意願いたい。

4.図書と逐次刊行物(雑誌等)に分け、刊年順に配列した。雑誌等で同一誌名があり混同しや   すいものは( )で発行元を記した。

5.文献中でまぎらわしい個所、説明があった方が理解しやすい表記には[ ]で補記した。 また必要に応じて注記をつけた。

6.文献の所蔵については、本学園記念室所蔵のものは文献末にそれぞれ(/武記)、図書館等に 所蔵するものは(/武)をつけた。文献の所蔵が少ないと思われるものは、国立国会図書館の 請求記号(例 /国331ー243)やその他の所蔵図書館を記した。

7.文献の誤りや遺漏についてお気づきの点はご教示願いたい。



   本間則忠(ほんま のりただ)
   慶応(元)(1865)・08・25)− 昭和13(1965)・10・10)

 山形県東置賜郡川西町玉庭の出身。明治31年東京高等師範学校理科卒業。長崎県師範学校教諭となる。
35年文部省普通学務局第一課長。38年島根県事務官。39年島根県松江市に下女学校を開校(子守女、給仕
女等の教育、国民新聞 明治39年8月24日、これは『島根県近代教育史』によると「人圓実科女学校」松江
明治40年開校、42年廃校か?)。41年山梨県事務官。43年鳥取県事務官。大正3年大分県理事官。7年栃木
県理事官、視学官。8年文部省事務官。大正12年の『職員録(内閣官報局)』では文部省大臣官房会計課、
事務官三等三級、正五勲五、本間則忠とあり、最終官歴は文部省事務官。
 武蔵高等学校の創立を根津嘉一郎に推奨し、自ら財団法人根津育英会、武蔵高等学校の設立実務全般に
わたり尽力した。また、『根津家育英事業』、『学校法人根津育英会』、『本校創立事情記録』等の資料
を残している。大正10年ー昭和3年10月7日根津育英会理事。大正13年3月富士見高等女学校(東京府北豊島
郡中新井村大字中六49番)の設立認可を受け、4月修業年限四カ年の高等女学校として開校する。9月文部
省依願免官。13年10月8日ー昭和3年6月8日富士見高等女学校初代校長となる。根津嘉一郎、宮島清次郎、
正田貞一郎、一木喜徳郎の名が当時の富士見高等女学校の後援者として記録されている。(『山崎学園
五十年史』 学校法人  山崎学園富士見中学校・高等学校刊 平成3年)。
  今まで、本学園には本間則忠についての人物記録が少なかったので、平成6年5月「武蔵学園記念室」の
開設にともない調査をした。学校法人山崎学園(練馬区中村北)から、富士見高等女学校設立時の本間の
履歴書等の史料の提供を受けた。また山形県米沢市の置賜文化センター米沢市史編纂室は本間の出身地を
調査し、ゆかりの方々を見つけ出された。これらゆかりの方々に問い合わせしたところ、本間が武蔵高等
学校の創立に力を尽くしたことは初耳であるとのことであった。また、島根県立図書館郷土資料室は同県
における本間の教育活動に関する調査をおこない関係資料を提供してくださった。これらの関係機関のご
協力に感謝を申し上げたい。

明治31年 3月30日  東京高等師範学校理科卒業
      4月 1日  長崎県師範学校教諭
  32年 7月18日  文部省属
  35年 4月17日  文部省普通学務局 第一課長
  36年12月 5日  大臣官房文書課
  38年11月     文官高等試験合格(行政科)
          12月 5日  島根県事務官
  39年 9月     島根県松江市に下女学校を開校 
               (子守女、給仕女等の教育 
                          国民新聞 明治39年8月24日)、
                         (人圓実科女学校 松江 明治40年開校、42年廃校か?)
                          参考:島根県近代 教育史 
                          第7巻 昭和54、山陰新聞 明治39年8月1日、同9月4日
  41年 8月29日  山梨県事務官
  43年12月17日  鳥取県事務官
大正 3年 6月 9日  大分県理事官
   7年 9月17日  栃木県理事官
      9月25日  栃木県視学官
      9月28日  栃木県内務部学務課長兼官房主事
   8年 6月30日  栃木県内務部庶務課長兼会計課長
      7月10日  文部省事務官
大正12年        「職員録(内閣官報局)」では文部省大臣官房会計課で、
                          事務官三等三級、正五勲五 本間則忠とあり、最終官歴は
             文部省事務官。
大正13年 3月     富士見高等女学校(北豊島郡中新井村字中)の設立者として設立認
                          可を受ける。
             大正13年4月修業年限4ケ年の高等女学校として開校する。
  13年 9月 4日  文部省 依願免官
  13年10月 8日 − 昭和3年6月8日 富士見高等女学校初代校長に就任
昭和 3年10月 7日  根津育英会理事辞任 
昭和13年10月10日  病没 
(経歴、文献の調査については、学校法人山崎学園(富士見中学校・高等学校)、山形県米沢
   市立図書館及び島根県立図書館の協力による。)
 


(文書・記録)

N001 根津家育英事業(大正十年五月十日披露会ノ席上ニ於テ) こんにゃく版 [大正10〜]
         /武記  翻刻 → 年報 創刊号 平成7.07(1995)
          [内 容]
        育英事業ノ思ヒ立及其ノ経過 根津嘉一郎談 [4p.] (年報:pp.2-4.)
       七年制高等学校ノ必要ナル趣旨 一木喜徳郎談 [6p.] (年報:pp.5-8.)
       施設計画ノ要旨 本間則忠談 [12p.]  (年報:pp.9-15.)
       寄付行為証書 [10p.] (年報:pp.76-81.)
      七年中学設立ノ趣意並実施要項 (大正八年第二回ノ協議案) [9p.] (年報:pp.67-68.)
      根津育英会ニ関スル教育私見 (披露会ノ席上配布シタル印刷物)  正田貞一郎談  [13p.] 
          (年報: pp.16-22.)
      根津家育英事業創設ノ顛末 (大正十年六月雑誌記者ニ対シテ)  宮島清次郎談 [7p.] 
          (年報:pp.23-25.)
      施設計画ノ要旨補遺 (大正十年五月全国師範学校長会ノ席上ニテ)  本間則忠談 [8p.]
          (年報:pp.26-29.)
      鉄筋混凝土建テ変更ヲ望ムノ議 (大正十年八月)  本間則忠 [18p.] (年報:pp.30-37.)
      武蔵と名付けたる事由 本間則忠 [5p.]  (年報:pp.61-66.)


<著 述>(雑誌−論文・論説・講演)

H001 論説 教育上の自治を論ず  本間則忠談 島根県私立教育会雑誌 236号 明39(1906)  pp.31-32
国会図書館近代デジタル
ライブラリー
H002 施設計画ノ要旨(大正十年五月十日披露会ノ席上ニ於テ)  本間則忠談 
       →N001 根津家育英事業の内  [13p.]   こんにゃく版  /武記 (年報 創刊号
 平成7.07(1995)  pp.9-15.)
H003 施設計画ノ要旨補遺(大正十年五月全国師範学校長会ノ席上ニ於テ) 本間則忠談
       →N001 根津家育英事業の内[9p.]  こんにゃく版  /武記 (年報 創刊号 平成7.07(1995)
    pp.26-29.)
H004 鉄筋混凝土建テ変更ヲ望ムノ議(大正十年八月) 本間則忠  →N001 根津家育英事業の内 
         [18p.]  こんにゃく版  /武記 (年報 創刊号 平成7.07(1995)  pp.30-37.)
 
H005 [本校創立事情記録] [本間則忠記]  謄写版  [10p.]  /武 (年報  創刊号 
         平成7.07   (1995)  pp.46-52.
H006 武蔵高等学校創立ニ関スル経過(昭和三年一月六日記ス)  [本間則忠記]
       [9p.] ペン書き /武記 (年報 創刊号 平成7.07(1995)  pp.53-56.)
H007 武蔵と名付けたる事由 本間則忠 →N001 根津家育英事業の内 [5p.]
     こんにゃく版   /武記  (年報  創刊号 平成7.07(1995)  pp.61-66.)


<伝記・人物評>(図 書)

H008嗜好百種 服部太喜弥(大夢)著  服部太喜弥 明治43.11(1910)  262p. 本間則忠:p.31-32
H009 山崎学園五十年史 山崎学園五十年史編集委員会編 山崎学園  平成3.04(1992) 
     pp.15-20. 
H010 武蔵七十年史 -写真でつづる学園のあゆみ- 武蔵学園70年史委員会編 学校法人根津育英会
      平成5.06  278p.  「本間則忠氏のすゝめ」 p.4.  
N011 武蔵七十年のあゆみ 武蔵七十年のあゆみ編集委員会編 学校法人根津育英会 平成6.04  162p.
          本間則忠氏のすゝめ p.4  


<伝記・人物評>(雑 誌)
H012 特別読みもの 武蔵七十年史余話(その2) 校名『武蔵』のこと  大坪秀二 武蔵高等学校
    同窓会会報 40号 平成10.11(1998)  pp.78-82. 
H013 特別読みもの 武蔵創設の「初心」・・・・創立前史に想う 大坪秀二 武蔵高等学校同窓会会報
   45号 平成14.07(2002)  「根津嘉一郎と本間則忠」ほか pp.14-24. 
H014 教育界の先覚者 本間則忠のこと  大滝則忠 米沢有為会 東京支部だより 4号 平成20.06
    (20087) 



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