最新更新:2005.09.22

  
1 境 橋 〜 三 郡 橋 2 更 新 橋 〜 上 井 草 駅 4 富士見台駅 〜 桜 台 駅
5 武蔵学園 〜 要町通り 6 要町通り 〜 巣 鴨千 川 上 水 展


 千川上水(3) 上井草駅 〜 富士見台駅




マップ3(上井草駅〜富士見台駅)縮尺約2万分の1



千川上水探訪ガイド(3)
 
1.上井草駅の手前で千川は突然開渠となり、橋梁をくぐる。この付近の標高は50m前後。文献2によると、この橋梁は、その銘板によると東京石川島造船所1926年製で、この西武鉄道開通当初のものであるという。鉄橋の下のピューム管(3−1)に入る水量は一見すると少ない。しかし、日量3千トン、1時間あたり125トン、1分間にして約2.1トン流れていることになる。現在のところ、ここから下流は全域暗渠化されている。

2.千川通りの上井草駅入り口から少し行った北側、練馬区下石神井4丁目9〜10番に、明治13年に設置された同潤社という製糸工場があった。敷地は約千坪、工女120人。13年に千川用水利用願いを出し、翌年分水口5分四方が許可されている。19年廃業、21年玉川製糸所と改名したという。これは明治10年代はじめ、東京府で最初の私営製糸工場2社の一つで、もう一つは石神井台1丁目15番、三宝寺と道場寺の間にあった興就社。これらにより石泉地区の生糸生産が飛躍的に増加したといわれる。練馬区の養蚕業については、『練馬の産業U』(練馬区教育委員会)昭和61に詳しい。

3.環状八号道路をこえると、八成橋(3−5、6)があったところで、付近に八成(斉藤)水車(3−8)があった。斉藤氏は大正12年8月から水車経営にたずさわったという。それ以前は鴨下由右衛門という人が経営していた。70メートルほど上流から水を引き(3−7)、当時の水輪は直径2丈4尺で、水輪部は6尺ほど掘下げて水車を仕掛け、水はトンネルで千川に戻していた。挽臼(臼の回転)4台、搗杵(杵の上下)12本で主に精麦をおこなっていた。(参考:伊藤好一 武蔵野と水車屋 クリオ 1984)。この水車は昭和4年測量、12年修正の地図に記載されている。ここで現・早稲田通りが横切る。このあたりから街路樹はプラタナスになる。練馬区南田中1丁目。

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江戸名所図絵にみる練馬の名所

<1>三宝池 弁財天 氷川明神 石神井城址


<2>石神井明神祠(しゃくじい)「(石神井村)井戸を掘った時に土中から現れた霊石を祀る。これより石神井の地名起こる」

足下には、農夫と練馬大根が描かれている。
これは石神井神社(下石神井2丁目)のご神体といわれている。
<3>石神井川は、その源を小平市鈴木新田に発し、西東京市(旧田無市・保谷市)をへて練馬区に入り、富士見池・三宝寺池・豊島園等の湧水を加え板橋区に入り、田柄川と合流し北区をへて隅田川にそそぐ延長約25キロメートルの川である。

4.さらに少し行くと長命寺への道標(3−9、10)はもと三兵橋だったところ。現在、道標(3−10)は千川通りで練馬へ向かって左側歩道に残されている。マンション建設に伴い、練馬区によりこの道標の案内板が平成17年5月に設置された。 長命寺は少し戻って環状八号線を1.5km北上したところ。西武線の練馬高野台駅からだと徒歩5分程。東高野山と呼ばれる真言宗の名刹。寛永17年(1640)開山。御府内八十八ヵ所第17番霊場として庶民の信仰をえて、享保頃より参詣寺として寺門隆盛をきわめた。多くの文人墨客、芝居関係者が訪れている。時間の余裕があれば是非寄ってみたい。また長命寺道標では、文化・文政の頃の江戸近郊の紀行文嘉陵紀行(村尾伯恭)に記されている寛文11年(1799)の東野孝保撰の石碑(貫井5−17)が有名である。

練間 長命寺「新高野又ハ東高野山ともいへり」


5.さらに行くと右手は元育英高専、があったところで、移転してしまい、跡地に住宅建設計画が進んでいる。左手は滝沢花園(3−13)で温室が目につく。南田中の西武バス営業所をこえて、少し行くと千川児童遊園があり、ここには以前渡辺(鴨下)水車(富士見台1−4)があったところ。この先から中野区上鷺宮4丁目となる。

6.現・西武線富士見台駅入口に九頭龍橋(3−17) があったが、昭和15年頃のここの水深は2メートルに達していたとあるが、当時の千川の流水量がうかがえる。この手前で北に向かっていた千川は東に変わるが、昭和のはじめ頃の地図を見ると、この入口の手前、千川に沿った道は千川から離れ直進していたが、後に千川に沿って改修されたものであることがわかる。ここには元九頭龍弁天(4−2)があった。この付近の標高は44m前後。
 
 
3−1 踏切高架橋の千川取入口 3−2 踏切北西の農家(昭和15年9月)
上井草駅西側の線路脇の鉄橋下。千川のヒューム管(1m以上ある)に流れる水量(1日3千トン)。そして、この下流はすべて暗渠となってしまう。 踏切の北西付近の農家の収穫取り入れ作業(1)
3−3 同上の農家(昭和15年9月) 3−4 下石神井2丁目付近(昭和38年)
同農家の収穫取り入れ作業(2)
「千川上水(上流に向かって)。左、杉並区。「練馬区の昭和史」より。
3−5 八成橋(昭和38年) 3−6 八成橋の下流(昭和38年)
「八成橋(はちなりばし)より東南方を望む。右、杉並区住吉町。左の角は練馬区南田中」。この道路は、今日の「旧早稲田通り」。写真は「練馬区の昭和史」より
「南田中八成橋より下流の暗渠工事場を望む。」写真とも「練馬区の昭和史」より。
3−7 水の取入れ口(昭和15年) 3−8 水車小屋(昭和15年)
井荻駅北方の水車小屋に使用するため、千川は少し手前で水門が設けられている。左は水車へいく水、右は本流でここに水門がある。
西武線井草駅のちょうど真北で、千川は下井草から石神井の三宝寺池に通じる道と交叉する。ここに水車小屋[八成水車]があり製粉を行っている。上流約100メートルの所で堰を設けて水を引いている。ちなみに千川の流れを利用した水車小屋は、昭和4年頃に於てすら6ヶ所を数えるが、現在は僅かにここを加えて3ヶ所しか残っていない。
3−9 富士見台駅南西、三兵橋(昭和15年3月) 3−10 同所の石標
武蔵野線(現・西武池袋線)富士見台駅南西。三兵橋。付近は一望開闊の畑である。この辺の 水深は約二米に達する。両岸には雑草熊笹などが密生している。橋畔の石標に「右長命寺道」とあるのは、 石神井の東高野山長命寺を指す。他の石標は最近川の中に投込まれていた。 練馬区内には東高野山、長命寺道と刻まれた道標が何カ所かに残されている。江戸時代人々は行楽をかねて神仏に詣で歩くことが盛んになり、真言宗の寺は霊場巡拝にならった人々で賑わった。また幕末には文人墨客や演劇関係者の信仰が篤かった。石標はここに残されているが、この向きだと、方角は逆を指している。高さ105センチ。平成17年5月に、マンション建設にともない、練馬区によりこの道標が整備され、案内板が設置された。そして、左の田園風景の写真が添えられている。
3−11 浅間神社の小祠(昭和15年3月) 3−12 育英工芸学校付近(昭和15年3月)
板橋区(現・練馬区)石神井南田中町、育英工芸学校付近。この辺一帯田園的風景を展開 している。左側が千川。畑中の小祠には浅間神社のお札が納めてあった。古来農民達が、朝夕はるかに のぞまれる清い富士の姿を神と崇めて信仰したことがしのばれる。
 
板橋区石神井南田中町(現・練馬区南田中町)。千川堤の桜並木は既に筋違橋の上流 立野橋付近から始まるが、付近は静寂の境で、散策には実に快適の地である。ここから少し上流にある水車小屋のため、水量が左右されるが流れは速い。 最近、育英高専は引越してしまった。
3−13 同南田中付近(昭和15年3月) 3−14 現・滝沢花園の温室
板橋区(現・練馬区)石神井南田中町、育英工芸学校付近。上流を見ると左岸に温室が見える。
 
滝沢花園(現・練馬区南田中1−13−9)。
3−15 木立を利用してかけた橋(昭和15年) 3−16 九頭龍橋とキリスト教会堂との中間(昭和15年)
九頭龍橋と教会堂の中程。木立を利用してかけた橋。川は深いが水量は少ない。
 
富士見台駅南方、九頭龍橋とキリスト教会堂との中間。この辺は一面草木で包まれ、 形はVの形で、赤土。深さは2メートルあまり。写真の左端の方に千川に沿って田舎道がある。
3−17 九頭龍橋から上流をのぞむ(昭和15年) 3−18 現在の姿・富士見台五差路
武蔵野線富士見台駅前の九頭龍は、練馬から石神井へ達する往還にある千川唯一ともいうべき堂々たる橋梁であるが、この橋の下付近で水深は最も深くなり、約2メートルに達する。
(これにより昭和14、15年頃の千川の水量がかなりあったことがわかる。)
九頭龍橋はこの五差路にあった。千川はここから車の後方の建物の下の歩道へ向かっている。しばらくいくと両岸とも練馬区に入る。
 


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